記事一覧

日米包括経済協議と日本側の対応その3(貿易摩擦シリーズ)

 日米包括経済協議と日本側の対応

・保険分野

 日米保険協議は1993年に日米包括経済協議の枠組みの下で優先分野の一つとして協議を開始しました。1994年3月には免許・商品認可基準の明確化、外国保険会社の加入を可能とする損保協会の定款変更、保険制度改革に係る外国保険会社からの意見聴取、商品及び料率の認可の弾力化、ブローカー制度の導入などが行われました。

 特にブローカー制度の導入では、新しい保険事業の在り方を模索していた日本側にとっても求められていた制度でした。保険商品の販売について販売に係る規制緩和や販売チャネルの多様化によって、諸外国の保険販売における保険ブローカー制度を実現することにより、複数の保険会社の商品の中から利用者が自らのニーズの最も適した商品を入手できるようになります。

 1994年には日米保険協議の結果、外国保険会社の市場アクセスの改善と日本の大手保険会社の第三分野への参入制限が規定されました。第三分野とは保険業法で規定する分類の一つで、第一分野は生命保険業、第二分野は損害保険業、そして第三分野はそのどちらの保険会社でも取り扱うことのできる分野です。主に医療保険や傷害保険、介護保険などが該当します。
  
 この参入制限は2001年1月に解放され、保険市場は完全に自由化されることになります。ただ、米国側は主要分野の規制緩和や第三分野における参入制限の実施状況に不満を持っていました。

 日本の金融業界に対する行政手法は護送船団方式とも言われており、保険業界でも保険商品にあまり差がなかったため1996年に改正された保険業法によって自由化が進められました。日米保険協議では算定会料率の使用義務が廃止されたり、リスク細分型自動車保険が認可されました。

 算定会料率の使用義務があった背景には、損害保険には原価の事前不確定性があり、ダンピング(価格の引き下げ)が行われやすいという側面があります。その為、保険会社の倒産というリスクがあるため、国民生活に大きな支障をきたすのを防ぐために1948年に損害保険会社を会員とする料率算出団体が、会員から保険データを収集し、これをもとに保険料率を算出したものを会員が使用するという法律が施行されました。

 この法律に基づき、1964年には自動車保険料率算定会が設立されました。これらの法律は外国の保険会社などの参入障壁となっており、自由で公正な競争のもとに保険料が設定されるべきであると米国側は考えていました。

 法改正の結果、リスク細分型自動車保険が認可されたため通販専業の外資系損保が日本の自動車保険市場に参入しました。さらに2001年からは保険商品の銀行窓口販売が一部解禁されることになります。このように長らく日本の保険業界が護送船団方式で守られていましたが、日米協議の結果として外国の保険会社による日本参入が促されたのです。

関連記事


コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Air130

Author:Air130

おすすめチャートツールのご紹介

 

業界最多レベル、 84通貨ペアでグローバルFX!

 

楽天西友ネットスーパー

お勧めワインショップ

ENOTECA Online(ワイン通販 エノテカ・オンライン)

食事での糖質が気になる方へ

免責事項

※投資は自己責任です。          当ブログは個人的見解を掲載してるものであり、売買を推奨するものではありません。

来場者